「現実」とは数あるファンタジーの一つに過ぎない。
こんにちは!
チエノワです。
あんなことや、こんなことやりたいという夢を語ると、
たいてい言われるのが、できっこないとか、
無理だとか、みたいに言われたりしますよね?
そんなこと言われない?
もちろん、そういう人もいるでしょうけども、
そうでない人は、そんなこと言ってないで、
現実的に考えろよ!って言われませんか?
現実的って何だよっていう話なんですけどね。
さてさて、
ここで言われる「現実」ってそもそもなんなんでしょうか?
よくよく考えてみれば、お金にしても「これは100円ということにしましょう。これは1万円ということにしましょう」という、誰かが人為的に決めたルールによって成り立っているに過ぎないのが「現実」であって、それはたとえば、ままごとの子供銀行のお金と何ら変わらない。社会的役割にしてみたところで、飲み屋へ行って「俺は〇〇会社の部長だ」とか息巻いている人も、ただの一人の酔っぱらいの男であることに変わりはない。会社の中では部長さんとして「偉い」のでしょうけれども、その「偉い」ということも、ある限られた社会の中でのみ通用するファンタジーに基づいているわけです。
つまり、「現実」と呼ばれているものも、一皮むけば、どれも「ごっこ」の世界なのです。せいぜい子供銀行ごっこと、日本銀行ごっこの違いでしかない。(中略)クリスマスという行事にしても、サンタクロースというファンタジーを取り去ってしまったら、行事自体が成り立たない。(中略)われわれが「現実」と呼んでいるものも、実のところ、数あるファンタジーの中のひとつに過ぎないのです。より多くの人が信奉しているファンタジーが「現実」として特別扱いをされているに過ぎないわけです。私たちは、どこかでこのことに目覚めていなければなりません。
「普通がいい」という病 泉谷閑示著 2006年
Amazon.co.jp: 「普通がいい」という病 (講談社現代新書) eBook : 泉谷閑示: 本
現実と呼ばれているのがごっこ遊びだった!
なんて、おもしろいよね!
お金が共同幻想だと、自分が納得できるまで、
かなり時間がかかったんだけど、
それが納得できたら、
これはお金だけじゃないぞ!と思ったんだよね。
あ~ぁ、これはわたしも含めてすべてファンタジーなんだと。
すべてファンタジーだと氣づいたとしても、ファンタジーが終わるわけでもなく、
わたしの物語は続いていくんだけどね。
物語は続くのだけれど、人生というか世界の見方が変わって、
深刻にはならなくなりますよ。
~であるべきや、~でなければならないみたいなものも、
他人が作り出した価値観であって、自分の中で絶対的なものではなくなります。
人生に深刻にならずに、真剣に楽しみましょう★
だって、ごっこ遊びなんですから❣
ありがとうございました。
ではでは~