読書の定義について考え方を変える!
こんにちは!
チエノワです。
以前、下記の
速読術で読んだって?それ読書なの? - 読書好きのひとりごと
速読は読書なのか?読書じゃないよね!というような記事を書いたのだけれど、
こうして自分もアウトプットするようになって、
読書の定義を、わたしも見直す必要があるなぁと思いまして。
詳細は『あなたもいままでの10倍速く本が読める』(ポール・R・シーリィ著)に譲るとして、要点は2つ。「読書」の定義を変えることと、右脳をうまく使うということ。(中略)一冊の本の中で、あなたにとって意味のある重要な部分はたったの4~11%。したがって本を読むということは、必要な部分を見つけて自分の知識とすることである。自社のビジネスを成功させるために本に知識を求めるのであれば、それで十分ではないか?
なるほど!だったら速く読めるわけです。仕事の関係上読まなくてはならない本、ちょっと気になるレベルの本なら、確かにおっしゃる通り。順を追って最初から最後まで読むのではなく、自分にとって必要な情報を探す、と言い換えると分かりやすいでしょうか。
いつものように冒頭から読んでいくだけでは、一度きりしか目を通さないことになって実は全く覚えていなかった、のはよくあること。何度もページをめくることで自分にとって価値ある情報とめぐり会える可能性が高くなるのかな、とも思うのです。
「考具」加藤昌治著 2003年
考具 ―考えるための道具、持っていますか? | 加藤 昌治 |本 | 通販 | Amazon
ただ読むだけだと、確かに一度しか目を通さないので、
読んだ~とは思えるけど、覚えてないのはよくありますね!(^^)!
こうして読んだ本について、アウトプットするようになって、
どこを引用するかとか、何度もページをめくったり、
考えをまとめたりすることが、記憶には重要ではないかと思うようになりました。
勉強でも、スポーツでも、繰り返し反復することで、
できるようになるのと同じでしょう。
わたしは、基本的に興味のある本しか読まないので、
メモしたりしながら、冒頭から読むのだけれど、
仕事とかでどうしてもとか、ちょっと気になるくらいの本ならば、
自分に必要な情報を探す、という速読的読み方もありだと思う。
ありがとうございました。
ではでは~
追伸:やっぱりいろいろな読み方があると考えると、
何冊読んだというような指標は、評価の対象にはなりませんね。