チエノワの読書と暮らし研究所

正解のない世界で楽しく生きる!

分別、考え方の世界

考えの世界はきりがない!

 

こんにちは!

 

チエノワです。

 

あの人の言ってることは正しい、この人の言っていることは間違っている。

 

わたしが正しいのだからわたしの言うことを聞けばいい!

 

そういう風に考えちゃう人いませんか?

 

 

今、猛威を振るっているといわれている、

 

新型感染症に対する対策とかいろいろやってますよね。

 

人流を制限すればいいんだとか、注射したらもう大丈夫とかいろいろ。

 

 

どちらが正しいとか、間違ってるとか、

 

ほんとのところは、どっちでもないかもしれない

 

「頭」は、二元論が基礎になっている理性の場所ですが、これを仏教の言葉で言うと、分別ということになります。分別ゴミと同じで、これは燃えるゴミ、これは燃えないゴミというように、二通りに分けることです。善/悪、正/誤、等々、この分別の働きが、人間の文明を作ってきてくれたのですが、しかし、この働きが同時に人間の不幸を生み出す源にもなっているのだということを、キリスト教イスラム教・ユダヤ教共通の聖典である『旧約聖書』や、また仏典でも、口をそろえて言っているのです。

 

仏教における二元論、分別について、

だるまさんのお言葉は省略しまして!(^^)!、

その意味についてだけですが、

 

禅宗の一人で「だるまさん」として有名な達磨禅師の言葉です。

この言葉を分かりやすく言い換えると、「理性をもって分別したり計らったり比較したりして物事を自分の頭で受け取るのは、どれも夢まぼろしのようなものである。頭の関与をさせず、そういう計らいを一切去って物事を受け取ることが出来たとき、それを本当の認識というのだ。」といった意味になると思います。

              「普通がいい」という病 泉谷閑示著 2006年

 「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書) | 泉谷 閑示 |本 | 通販 | Amazon

 

 

何かを悪者にしたら、反対側は正義になる。

 

これが頭による分別、二元論です。

 

考えというものが、そもそも二元論なので、必ず分かれるんですよね。

 

あることがらに対して、100%全員の意見が一致することなどありえないんです。

 

だから、世の中便宜上多数決で決める。

 

だけど、多数側の意見が正しいかはわからない。考えですからね。

 

 

世の中の情報はすべて考え、二元論の世界の話なので、

 

そこにどっぷりつかると、ふりまわされることになる。

 

特に、主要メディアとかね。

 

 

頭の分別から離れて、認識すれば、

 

自分の考えを他人に押し付けることはなくなるし、

 

相手の意見も尊重できるよ。

 

 

どこまで行っても、二元論なので意見は割れますから、正解はありません

 

自分が、それが正しいと考えているだけなんです。

 

 

ありがとうございました。

 

ではでは~